幸福論

■現状で満足できない性
被災当時は水道以外全て不通という人生初の体験に、情報がないので世の中がどうなっているのかも分からず、寒さとろうそくの灯りの中、ただ漫然とした不安の日々で、せめて早く電気が復旧してくれればと願うばかりだったのですが、当時から比べれば、今は化石燃料の心配といっても輸送が大分進んできているので大きな不安ではありませんが、物流が遅れている中で食べたい物が売ってないとか、閑散とした店内、震災以降閉まったままのコンビニ、普段の生活がまだ送れていないことの苛立ちが多少でも湧き上がってくるのですが、全国ニュースでは届かない太平洋沿岸地域のローカルニュースを毎日のように眺めていると、帰って来れる家があって、電気もつき、テレビも見れ、あったかい食事も取れ、風呂にも入れるという人並の生活がいかに代えがたいものなのかと、被災当時は身を以て分かっていたはずなのに、手に入るものが増える度に、次々と欲が出てきてしまうのは何をもって幸せだと思うのか、今も大変な思いをしている方々の姿をテレビ画面を通してですが見ていると、欲を出さず我慢するということも幸せのひとつなんだと言い聞かせています。
一刻も早い普通の生活が送れる日々が来ることを、切に願います。
2011/03/24(Thu) 22:33:42 | 雑言
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