ヲタは神を殺したか

■ハロプロという神
人間が文明というものを作り出してから、生活の一部だったり、心の拠所でもあった宗教。
宗教の歴史は戦争の歴史でもあり、世界的に見ても動乱の種となったのは、宗教を含む価値感の違いであったと思います。
日本という国は、歴史的にみて仏教・密教の思想が今日の日本を形作ったと思いますが、近代日本においては、仏教的行事、神事、キリスト的行事が混在する他の国と比べても非常に奇異な国家だと思います。
そんな色々な思想が入り乱れる日本において、アイドルの存在とそのファンが形作る世界も、ある種宗教なのかなと思う所が多々あります。
過去にもアイドルは偶像崇拝の比喩として、いろいろな論調者取り上げられたりもしましたが、そういう世界に介在している身としては、自分より熱心な方々を見るにつけ、あながち間違ってないのかなとも思います。
ギリシャ神話や日本古来の神の神話、世界各国に伝わる神々の逸話は、どれも非常に人間くさく、間違いを犯したり、愚直だったりしているのですが、実は神として崇める側に問題があるんじゃないかなとも思ったりします。
キリストだって実際に存在した人だったかもしれませんが、少なくても生きていた時代は人間だったはず。
それが、数々の奇跡を生み、しいては生をも超越した存在になってしまった。
そういう存在にしたのは、やはり信奉者がいたからだと思います。

さて、ハロプロという宗教の中には、○○派みたいに細分化され、それぞれに信奉者がいるような現状、あなたの神は奇跡を起こしてくれますか。
信奉者ではない者が見れば、その神と周りを取り囲む信奉者の姿はどのように映るんでしょう。
自分は、信奉者の姿こそ神を形作るものだと思います。
あなたの目には光り輝く姿でも、第三者が見れば道化師にしか見えないかもしれませんよ。
神を光り輝かせるためにも、信奉者はその見本たれと思います。
昨今のハロプロ信奉者の一部は、計らずも熱心なあまり盲目的で見ていてつらい部分があります。
盲目的で一方的な信心は、時として神そのものの威光を消し去り、本来の姿をくらませてはいないでしょうか。
あなたの信心は、果たして本当に神が望む形でしょうか。

※文中あえて宗教を比喩表現および間接的な表現として用いています。
書いてる意味が分からない方は、「さて、ハロプロという宗教の・・・」というくだりから、下記単語をカッコ内の言葉に置き換えて読んでみてください。
・神(推しの名前またはユニット名)
・信奉者(ファンまたはヲタ)
・信心(応援)

ちなみに自分、超現実主義のため無神論者。
ことハロプロに関しても、ある程度距離(熱中しない程度)をおいてるつもり。
というか何事に対してもどっか冷めた自分がいるので、心底熱中できるものがない。
なのでミキティの無趣味もなんとなく分かるんですよね。
ある意味、何かに熱中している人は羨ましいのかもしれませんね。
2007/02/26(Sun) 23:21:40 | 雑言
Tittle:
Name: