自己分析

■理性こそ自己
最近よく戦争映画やドラマをよく見ます。まあ8月はお盆が近くなると終戦記念日もあることから、色んな局でドキュメンタリーだったり、体験者の話を元にしたドラマが普段より放送されることから、まあ印象操作されている面もあるんでしょうけど、日本側というよりも海外物を自分は選んでよく見ています。自己分析するにあたり、車を運転してても、それこそハリウッド映画みたいなカーアクションだったり、よぎる事すらいけないんだろうけど、車で家につっこんだらとか、対向車に向かって行ったらとか、時折一種の破壊衝動が頭をよぎることがあります。まあ当たり前だけど、そこはちゃんと理性というストッパーがあるので、そういう衝動はアクション映画や戦争映画を観て消化されていくんだろうなと自己分析しています。ま、それだけストレスが溜まっているというのもあるんでしょうが、でもかなりの人は大なり小なり破壊衝動はあるんじゃないですかね?自分は物には絶対当たらないので、投げつけたりとかも頭にはよぎりますが、実際の行動としては起きません。理性がちゃんと機能しているうちは、自分はただただ普通に生きていくだけだと思うのですが、誰を傷つける・殺めてしまうという実際の行動を起こしてしまう人は、何かしらのきっかけで理性というストッパーが外れてしまうだろうね。これも時折戦争映画を観ていては、自分もああいう時代に生まれていて、大砲や戦車をぶっ放したいとか思ってしまうのですが、ゲームの世界であればだろうけど、建物や形があるものが崩れていく様の爽快感の先に、人の死があるということに気付いていながら、別の面でどこか他人事に感じてしまうのが戦後60年以上も経ち、実際経験した訳でもない平和ボケした日本人の一人だと気付いているのも事実。そういう日常は実はかなり恵まれた環境なんだと思わなければいけないんだなと、これもまた戦争映画を観終わった頃に実感します。まあ誤解ないように書いておきますが、破壊衝動はあくまで対象が物なので、形あるものを壊したいと思うもので、命を奪うような殺人衝動とは全く違います。とはいえこのストレス社会、理性というストッパーが外れれば、破壊衝動も殺人衝動と紙一重のような気がします。自分は真っ当な人間でありたいと思っているので、まだ理性は大丈夫なようです。という訳で今日仕事帰りにちょっとUFOキャッチャーに微妙に取れそうなのを発見、見事3千円ほどぶっこみゲットしてきました。(汗;
破壊衝動もだけど、引き際も考える理性も必要だよね。
2011/08/24(Wed) 23:30:54 | 雑言
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